150年の時をこえて──皐月に込められた日本の季節感

「皐月」の言葉に込められた祈りと暮らし

「皐月(さつき)」、現代のカレンダーでは「五月」と表記されています。

現代でも「皐月」という響きは親しまれており、『皐月』というお名前をお持ちの方もいらっしゃいます。
私の周りにもいますよ。
あなたの周りにも、いらっしゃるでしょうか?

「さつき」の「さ」は、田の神、
あるいはその神に捧げる稲を意味する言葉であり、
「早苗(さなえ)」の「さ」にも通じています。

この「さ」は、神聖なものを表す接頭語として使われていたという説もあり、
人々が自然とともに生き、
神に感謝しながら稲作にいそしんでいた暮らしが、
言葉の中に息づいているのです。

太陽暦150年、日本人が大切にしてきた季節の心

明治6年(1873年)に日本は「新暦(太陽暦)」を公式に採用しました。

以来150年、私たちは西洋式の1年365日という
カレンダーのもとで生活しています。
それ以前の日本は、
月の満ち欠けと太陽の動きを組み合わせた
「旧暦(太陰太陽暦)」を使い、
より自然に寄り添った暦の中で季節を感じ取ってきました。

新暦と旧暦には、
平均して約1か月ほどの季節のずれがあります。
にもかかわらず、「皐月」や「五月雨」、「五月晴れ」など、
旧暦に基づく言葉や風習が今も私たちの生活に息づいているのは、
自然と調和した暮らしを大切にしてきた日本人の心が、
現代にも受け継がれてますね。

暦が変わっても、季節を感じ、
自然に耳を澄ませ、
言葉に想いを重ねる文化は変わらない──それが、日本人の「季節の心」なのかもしれません。

五月雨と五月晴れ

「五月雨(さみだれ)」は、
現在でいえば梅雨の長雨のこと。

そして「五月晴れ(さつきばれ)」は、
その長雨の合間に見える晴れ間のことを指します。

ところが、現代のカレンダーで五月といえば、
まだ梅雨入り前の爽やかな初夏を
思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。

実際の季節感とカレンダーがマッチせず、
違和感を感じることがなかったでしょうか?

それは、明治時代に導入された「新暦(太陽暦)」と、
長らく日本で使われていた「旧暦(太陰太陽暦)」との
季節にズレがあったからなのです。

私たちが日々何気なく使っている季節の言葉には、
旧暦時代の自然との寄り添い方や、
暮らしのリズムが今も息づいています。

暦の新暦は、太陽暦。明治6年から現在約150年が経ちます

明治6年(1873年)に日本は「新暦(太陽暦)」を
公式に採用しました。
以来150年、私たちは西洋式の1年365日という
カレンダーのもとで生活しています。

それ以前は、月の満ち欠けと太陽の動きを組み合わせた
「旧暦(太陰太陽暦)」を使い、
より自然に寄り添った
暦の中で季節を感じ取ってきました。

新暦と旧暦には、
平均して約1か月ほどの季節のずれがあります。
にもかかわらず、
「皐月」や「五月雨」、「五月晴れ」など、
旧暦に基づく言葉や風習が
今も私たちの生活に息づいているのは、
自然と調和した暮らしを
大切にしてきた日本人の心が、
現代にも受け継がれている証です。

暦が変わっても、
季節を感じ、自然に耳を澄ませ、
言葉に想いを重ねる文化は変わらない。

それが、日本人の「季節の心」なのかもしれません。

季節のことばに宿る、見えないリズムを感じて

もし季節の変わり目に不調を感じたり、
気持ちが揺らいだりするなら、
それは自然と心が対話している証です。


「今、自分のリズムはどこにあるんだろう?」と
立ち止まってみましょう。

言葉、暦、空模様――
それらすべてが、
あなたの内側にある“見えない力”と
共鳴しています。

古の人々がそうして季節を読み、
自分の在り方を見つけたように、
あなたもまた、
“自分という暦”を感じてみてください。

そして、「皐月」という言葉が
ふっと心に浮かんだときは、
大地と空のめぐりを信じ、
少し深呼吸してみましょう。

必要なことは、すでにあなたの中にあるかもしれません。

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